進むこと止まること
今、体調不良で会社を休んでいる。
もうすぐ3週間。
私がいなくなってから
会社からは連絡が毎日のようにくる。
私が知っていることに関しては
全て引き継いだんだけど面倒だ。
昔、会社をサボって江の島に行ったことがあった。
あのときは罪悪感でどこか楽しめなかった。
高校のときに文化祭をサボって奥多摩にいったときもそう。
後ろめたさがあった。
でも今はあまり感じない。
社会に出てみると学生時代とは比べものにならないほどしんどい。
僕は何度も身体を壊した。
そんな経緯があるから会社を辞めたいという気持ちが
後ろめたさに勝っているからだろうか。
家で身体を休めているだけだとそれはそれでまずいことだ。
蓄えがなくなったら生活ができなくなる。
次の仕事も探さないといけない。
無理して会社に行こうか?
でも人の悪態をつく一人言が日に日にひどくなる。
周りにいる奴からも人の悪口ばかり。
正直、人のことを悪くいいたくない。
むしろ変なやつとは関わりたくない。
きっとまた体調を崩す。
もし時を戻ったとしても
こんな世界でうまくいくはずがない。
運もなかったし自分の生き方も失敗したのだ。
今の自分が、昔の自分の面倒を見れていたら
違った未来になっていただろうけど。
そう。うまくいかないことに関して言い訳をしたかった。
自分のせいでも他人のせいでもいい。
言い訳をするとさらに惨めに格好悪く見える。
精神的に限界なのだろう。
携帯の受信音にびくついて、
携帯の受信音の幻聴がして、
もうまいっているのだろうと思いつつも
自分をかりたてるものがある。
サラリーマンをドロップアウトして
今や悠々自適な生活を送る友人からは
会社辞めてしまえ。と言われた。
能力のある人は社畜にならなくても生きていける。
会社に戻ったとして問題は山積みで。
目の前の壁はたいてい人、人、人。対人関係。
社会がすごくこわかった未成年。
なんとかサラリーマンになったけどうまくいかない。
すげえ逃げたい。
もう関わりたくない。
面倒くさい。
それでもどこかで僕はなんとかしたいと思っている。
当初の目的も忘れて。
小学生から「死にたい」って言葉が口癖だったんだけど
昨日、夕方の河川敷でペダルを漕いでいる最中に自然と出た言葉
「死にたくない」
今、体調が悪いからこういう言葉が出てきたのかもしれないけど
ふいに出たその言葉に僕は笑った。
変わらない人は変わらない。
変わる人は変わる。
どちらになるかは自分次第。
無理しないこと。
出来ることを少しずつしていけばいい。
進んでも止まっている間にも
人はなにかしら成長する。
それはマイナスとなることかもしれないし、
プラスになることかもしれない。
止まっている間にも
何かしら意味がある。
自分の中で考える。
周りの人に相談する。
そう色々考えたとき救いと感じたのがまだ僕が自分についてあきらめていないことだ。